かんしゃ通信 17年02月号

2017年02月25日(土)

今年のお正月も例年と同じように、家でのんびりと過ごしました。食べては寝て、さらに今年からは、ちょっとお酒を飲みたいと思うようになり、昼

間から、ビールを飲み始めたりと不摂生なお正月を過ごしました。その結果、体重は2Kg増加し、ちょっとスーツがきつくなりました。昔ならば、すぐに体重が元に戻るだろうと自信をもって言えましたが、最近は、体重を減らすのは、なかなか難しい。あっという間に増えますが、減らすのは、ちょっとのんびりと構えています。お正月から約1カ月経ち、お正月前に比べて、約1Kg増の状態が続いています。もうひと踏ん張りしないといけないなぁと思いながら、なかなか実行に移せない関口義宏です。

 では、今月の「かんしゃ通信」スタートです。

京都MG

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京都の東本願寺?をバックに、慣れないジドリをしてみました。

2016年12月9日、10日にわざわざ京都へ研修に行きました。「研修と言っても、観光でしょ」と思う方もいると思いますが、2日間MGをやってきました。観光と言えば、京都駅から会場までの約15分間歩いたので、そこで、東本願寺のわきを通ったぐらいでした。

 12月9日、朝5時30分に自宅を出発して、新幹線で京都駅には、8時30分に到着。京都って思ったよりも近いなぁと感じました。

駅からMG会場まで約15分間歩き京都の街を満喫しました。普通に呉服屋さんがたくさんあり、ドラマで見るような畳の上で反物を整理しているお店を横目で見て、本当にこんなお店があるんだなぁと、歩いていました。

 今回の京都MGの目的は、ずばり事務所の業務レベルの向上です。講師の方に、普段から色々指導して頂いていて、その流れで研修を受けに行きました。観光の時間は全然なく、その代わり、講師の方と参加者の方々との交流をたくさんしてきました。初日は9時から19時30分まで研修、その後交流会。2日目も9時17時30分まで研修で、お土産を買ってから交流会。12月10日も泊まって、12月11日の朝6時30分の新幹線で帰宅しました。家についたのが、9時ごろでした。

 お土産は、定番の八つ橋と一緒に研修を受けた東京の税理士さんに教えてもらった阿闍梨餅。阿闍梨餅は、初めて食べましたがとてもおいしかったです。軽く油で揚げたらさらにおいしくなり、家族にも大好評で、なんでもっとたくさん買ってこなかったのと言われました。京都のお土産におすすめです。

 これから、さらに皆様のお役に立てる事務所になるために、充実した2日間を過ごし、ちょっと成長したと思います。(関口)

バレンタインの思い出

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当事務所主催「はりねずみMG」で100期を迎え記念品をいただきました!

みなさま、こんにちは。スタッフの桜田です。最近少しだけ日が長くなった様に感じます。夕方5時を過ぎてもうっすら明るいだけでちょっと嬉しいです。理想はやはり夏場くらいに7時位までは明るいといいなと思っています。ただ、夏の暑さは厳しいものがありますが。。。。

さて、今月2月はバレンタインがありますね。学生の頃は「気になるあの子」からチョコをもらえるかドキドキしたものです。年頃のお子さんがいらっしゃるご家庭では、お子さんがバレンタインの準備をされていたりするのではないでしょうか。

今でも憶えているバレンタインの思い出は小学校6年生の時の出来事です。今はどうなのかわかりませんが、小学校にはバレンタインといえどもチョコなんかを持ってくることは出来ません。なので、学校終わってから女の子たちはチョコを意中の男の子へ渡している様でした。

小6の桜田少年はその日の放課後、なぜか校庭で友達と2人で遊んでいました。いつもは校庭で遊ぶことはあまりありません。

なぜか。

それはもちろん、自分の居場所を分かりやすくしておくことで、少しでもチョコをもらえる可能性を高めるためです。

すると、遠くの方で僕らの方を見ている女の子たちの気配を感じました。女の子たちは何かそわそわとした様子の後、その中の1人の子がいよいよ桜田少年に近ずいてきました。その子は学年はひとつ下の子でこの子からチョコをもらえるのは意外だなぁという気持ちでした。手元にはそれらしき紙袋らしきものもあります。

 さあいよいよその子が話しかけてきます。

「山田くんどこにいるかしってる??」

 

 

 これは結構恥ずかしかったですね〜。なんとなくチョコもらう態勢になってましたし、話しかけられた時もそんな空気出してた気もします。

 これからチョコを渡そうとしている娘さんをおもちの方、当日、男子に話しかける際は、遠目様子を伺い、なんかそわそわとした様子の後、それらしい紙袋を手にしながら話しかけるのは止めるようお伝えください。

 ちなみに、妻からも高校の頃チョコを貰いました。ホワイトデーにはお返しをしたのですが、お店でラッピングをしてもらうのが恥ずかしく、青いプラスチック製の封筒に入れて渡しました。

 結婚後、ふとそんな話になり、妻から当時は言えなかったけど、「何これ??」と思ったと言われました。(桜田)

昔はもっと遠かった・・・

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先日のMGで谷口先生から差し入れでいただきました亀澤堂の「もなかめ」です。 ありがとうございました! 大変美味しゅうございました。

先日当事務所のMGに来られたお客様が、町田がものすごく賑やかで発展していてびっくりしたとおっしゃっていました。

小田急の駅から商工会議所まで、ほぼずっと繁華街が続いているため、そういった印象を持たれたのだと思います。

このエリアの町名は「原町田」となっていますが、昔は町田の駅名も「原町田」だったことはご存知でしょうか?

旧国鉄は1980年まで「原町田」、小田急は1976まで「新原町田」という名前でした。当時は国鉄の駅全体がもっと南よりにあり、地形との兼ね合いで現在の位置(当時は町外れ)に駅を作らざるを得なかった小田急との乗り換えが大変不便だったそうです(現在の東急ハンズ側の妙に遠い出入り口が当時の駅の位置の名残です)。

大勢の乗り換え客がそれぞれの駅に向かって走るので、経路になった道路は「マラソン道路」「駆け足通り」などと呼ばれていたそうです。

そこで、町田市は横浜線の駅を小田原線と横浜線の交差地点近くに移設しようと計画しましたが、これに対して2つの間にある通りの商店街が猛烈に反発したそうです。乗り換え客の中には途中でこのような商店街に立ち寄る人も非常に多く、大変賑わっていたため、駅が移設してしまうとこれらの客が一気にいなくなってしまう恐れがあったからです。最終的には4千人を超える駅移設反対の署名が集められ、駅移転は駅と駅とを直結させるものではなく、商店街の声を反映した、現在のように少し距離の空いた位置関係になったということです。

毎日あの距離を移動しなければならない通勤・通学客には迷惑千万であったかもしれませんが、その後の商店街や町田全体の発展を考えると、英断であったのだと思います。自分も横浜線から小田急線に乗り換える際に、真っ直ぐ帰るのもつまらないからどこか寄っていこう、と思ったことは結構あり、当時の商店街の方たちの思惑は大成功だったということでは似でしょうか。

この駅移転は1980年に行われ、これに併せて国鉄の駅名が「原町田」から現在の「町田」に変更になったのですが、これは国鉄の駅名を私鉄である小田急の駅名に併せて改名したことになり、全国的に見て非常に珍しいことでした。

改称に際しては、国鉄は当初既に存在していた宮原線(この4年後、1984年廃止)の町田駅(大分県)と駅名が重複していたことを理由に難色を示したそうですが、おそらく「なんで私鉄に併せなきゃいかんのだ!」という目線も少なからずあったと思います。しかし、当時の町田市の市長さん(大阪府出身)が、東北の福島駅(福島市)と大阪環状線の福島駅(大阪市福島区)の事例を取り上げ、「既に重複している例はある」という大変に説得力のある理屈で国鉄を説き、改称を国鉄に了承させたそうです。ナイスです。(田中)

ちょっとだけ

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都内でもう桜が咲いているそうです

 

忙しいけど、自分の楽しむ時間も大切にしているので、ストレスなどはあまり感じることが無いのですが、子供達が机回りなどが散らかっていると、片づけを促すのですが、なかなか出来ないのです・・・(-_-;)

部屋の入り口付近にかばんをボンと置いてあったりする時も結構あります。

そこで「通り道をふさぐように物を置きっぱなしにしたり、汚くしていると物事がスムーズに流れなくなるよ。机回りを整理しておくと、頭の中も整理されてスッキリするよ。置く時とか、ちょっとだけ気を付けてごらん」と伝えました。

今は、通り道をふさぐようにして置くようなことは無くなりましたが机回りの片づけは、もう一息ですね(笑)

この「ちょっとだけ」が言う側も、受け取る側も、気楽に感じて私は好きです。

イチロー選手も「小さいことを重ねることが、とんでもないところに行くただ一つの道。」と言っているように、この少しが大事なんだなとつくづく思いました。(黒田)